不倫をスキャンダル報道されたら、政治家は失格なのだろうか?
別にそんな法律は無い。
不倫自体は刑事罰にもならないし、もちろん公職選挙法違反でもない。
ただし、有権者は不倫を報じられた政治家には、がっかりはするだろう。
政治家、政党に求められる「品質」とは
不倫について 「許されないんですか? 今までの文化をつくったり、いい音楽やいい文学っていうのは不倫からもできている」 と語ったタレントは、発言を「不倫は文化」という見出しでスポーツ新聞で報じられ、社会からバッシングを受けた。
芸能人はまだしも、政治家とは、一定の倫理観が求められる職業だと思う。
この議題について、ある意味で説得力のある人物の言葉を引用したい。
「政党とは何か。」
同じ政治理念、政策を共有する集団ということでしょうが、私は、それ以前に、一定のクオリティ(品質)を満たした人の集団であるべきだと思います。
これは、弁護士や会計士などのように一定の資格試験をクリアーすることを条件にするというよりも、
「絶対に、不正をしない。」
「絶対に、不倫をしない。」
などというように、そもそも政治家として有権者信頼に耐えうる集団であることを、自信をもって約束できる集団であるべきだと思います。
国民民主党の代表:玉木雄一郎氏の2006年10月07日のブログ記事の文章である。
誠に正論。
国民の信頼を勝ち得る政治家、政党とは、それなりの品質を満たすべきである。
この文章から約20年後、玉木氏は2024年10月の衆院選で大勝利、改選前の4倍となる28議席を獲得。少数与党と連立政権を組めば総理大臣も夢では無いとさえ当時は言われた。しかし選挙の3日後には不倫写真を撮られ、天下を逃した。
不倫はしても優秀な政治家なら良いのか?
国民にとって政治家は、優秀であることも確かに重要だ。
しかし、個人的な感想では、不倫をし、それを報道されてしまう政治家には優秀さを感じない。
- 自分の欲望を抑えられない弱さ
- 不倫現場を報道されてしまう脇の甘さ
この2点において、不倫を報道される政治家は減点してしまう。少なくとも国政で大きな役割は任せられる信頼性は持てない。
そのような政治家は、まず政治的判断に自分の欲望が影響するリスクが予想される。また悪意のある勢力からのハニートラップに見事に引っ掛かるリスクも予想される。とてもではないが、日本の政治において大役を任せられる政治家とは思えない。
政治に倫理観は大事なのか?
そして有権者は、政治家に対して自分たちと同じような倫理観を共有して欲しいとも願っているはずだ。国民が委託して代わりに政治判断をするのが政治家だからだ。その判断は正しい倫理観に基づいて下して欲しいと願っているのだから。それが政治家に期待される「品質」なのだ。
議会制民主主義社会では、国民は議員に政治を委託する。委託する政治家を信頼して政治を預けるのだ。国民の政治家への信頼は、民主主義社会の根幹であるはずだ。
人間が恐れるのは他の人間
そもそも人間社会の根幹は「信頼」なのだ。
少し話題がズレるが、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対し、自分はそれが社会を維持する「信頼」の大前提だからと思っている。
もし他人が自分を殺すかもしれないと疑いだしたら、社会は崩壊する。自分を殺すかもしれない他人と社会生活を送れるだろうか?
殺人者と同じ部屋にいられるか?
殺人者に背を向けて行列に並べるだろうか?
殺人者の作った料理を食べられるだろうか?
基本的に人間が一番恐れる敵は同じ人間なのだ。恐らく「幽霊」の正体は悪意を持って潜んでいる人間への「恐怖感」が見せる幻影なのだろう。人類の進化する長い歴史の中で、物陰に潜む同じ人間をいち早く発見できた人間が生き延びて、DNAを繋いできたのだと思う。オカルトで言われる「霊感」や人の顔のようなものを認識する「心霊写真」とは、そういう先祖伝来の能力なのだろうと妄想する。
信頼が崩壊すれば、社会も崩壊する
閑話休題。
同じ共同体の他人を「信頼」するから社会は成り立っている。
議会制民主主義も同じで、基本的に政治家を「信頼」しているから政治を委託しているのだ。だから政治家を信じられなくなればなるほど、民主主義社会は崩壊していく。
残念ながら、政治家を信頼できなくなる出来事は世の中に溢れている。それでも、少しでも信頼できる政治家を選挙で選んでいくしかないのだと思う。石を積んでも積んでも鬼のような政治家が積んだ石を崩していく、「三途の川の石積み」みたいな民主主義だとしても。
だから、不倫スキャンダルを報道されちゃうような脇の甘い政治家にはガッカリして、投票先としては除外対象に挙げちゃうかな、個人的には。
それにしても、「信頼」が崩れていく出来事が多い世の中だね、残念ながら。
